数学カフェjr.

「知っておいてほしい」又は「ちょっとオモシロイ」初等数学を、高校受験をする又は中高一貫校在学の中学生を中心に、小学生~大人の方に向けてお伝えしていきます。

「仮説検定」の良くない例題

学習指導要領の改訂により、今年度から新たに教えることになる単元もあります。


そんな時の“新単元あるある”なのですが、テキスト等におかしな記述がなされていることがあります。

公立学校に採用されるような教科書ならば、チェックが何重にも行われるはずですが、「ある学校だけ」とか「ある塾だけ」等の“ある特定の範囲だけ”で使用されるテキストだと危険性が高くなります。

理由は、大概はある一人の人物が作成し、しかもその人物はその組織である程度の責任者であるからです。
なぜそのまま使用されるかは「推して知るべし」ですね。

せめて複数の人物によるチェックだけでも入っていれば防げるはずですが、まずそのようなことは行われないまま、何らかの教材としての成果品が完成してしまうのです。

最前線で教える立場の講師の中には、当然それに気づく人もいますが、その部分を実際に教える際にはテキストを使わずに修正して伝えるので、問題化しないのです。
“未熟な”もしくは“社畜太鼓持ち”講師は、何の疑問も抱かず、おかしな内容のまま教えるだけです。

では、なぜおかしな記述に気づいた講師が、組織に対して修正させるよう行動しないのか?

一応伝えはするものの、大概は組織は取り合わないことが多いのです。
そこを口うるさく突っつくと、テキスト作成責任者である“エラいさん”に疎んじられ、結局は自らの不利益へとつながってしまうだけだからです。

身を呈して修正を訴え続けた講師がいたり、何年かしてあちこちから声が上がってくるようになると、漸く修正に向けて動き出すのです…。

「そんな組織はごく一部でしょ?」と言いたいかもしれませんが、正しい見識とは思えません…。

時に明らかになる「いじめ」事案における学校や教育委員会などの信じ難い対応も、組織における人間関係や利害関係が根深く絡んだ構造上の問題を解決しないことには改善されていかない…、ということからも想像がつくのではないでしょうか。



前置きが長くなってしまいましたが、今改訂における新単元の一つが「仮説検定」です。

このコロナ禍が続く中では、新薬承認などで活用される手法でもあるのでタイムリーとは言えるでしょう。


数学の指導要領においては、近年「実社会での活用のされ方」を教えることで、数学への興味を持たせるための改訂が行われてきています。

それ自体は大変有意義なことなのですが、あくまでも補助的な知識として一度頭に入れてあげることを第一義とすべきでしょう。

その学習経験を元に、将来それを用いてより専門的な分野に進みたいと考えたのならば、大学や専門学校などで本格的に学べばいいことです。

高校までの指導課程に含めることで、「指導されているからには試験を行わなければ…」と、誰もが受けるような大学入学共通テストなどでそれらを全て試験問題化してしまうことには疑問を感じます。
(※今年の数Ⅰ・Aの問題は、あの内容にするのであれば試験時間を拡大すべきですし、かと言って共通テストで果たしてそこまで内容的に比重をかけるべきなのかは甚だ疑問です…。)

学校の特色を反映させる意味でも、どうしてもそこに特化した力を判断したい場合は、各校が独自に実施する試験でその類の試験を採用すればよいだけです。


確かに、ビッグデータをいかに扱って社会貢献に生かすか、という視点から「統計学」の重要性は増してくるでしょう。

その布石として、今回の指導要領改訂では統計関連の内容が増えており、「仮説検定」もその流れから高1課程でも触れることになっています。

しかし、高1ではまだ「確率」概念の認識が甘い場合も多々あり、教え方にかなり注意しないと、「仮説検定」を合わせて教えることで混乱を招いてしまう可能性もあります。


というのも、「仮説検定」のところで、次のような説明がされたというのです。

「1枚のコインを10回投げて表が1回しか出なかった。このコインは何らかの細工がされているか?」
という設問で、仮説検定の手法を用いて、
「細工されている」
と判断されたらしいのです。

確率を求めるだけならば基本問題ですね(5/512)。

確かに起こりにくい事象ではあるものの、この設問設定では“一度きり”の話であるので、「実際に起こることもまぁあり得るだろう」と誰でも感じるのではないでしょうか。

それなのに、
「このような事象が起きてしまうコインは細工されている」
と判定されてしまうとなると、生徒が混乱するのも当然でしょう。

しかも、その判定の過程で厄介な語句やロジックを用い、さらに、全く根拠が不明な「5%(有意水準)」が判断基準となったというのです。

実際の説明を聞いていないので断言はしにくいのですが、説明に用いる例題としては内容がふさわしくなかったということと、「~という判断基準を元にすれば」という注意深い説明が欠けていたのでしょう。


数学の問題のように“純粋な設定における事象”ではなく、“世の中で実際に起こる事象”は、当然複雑な要因によって起こり、その発生過程が完全に解明できているものなどないでしょう。

しかし実社会においては、何らかの線引きをすることで取捨選択をしていかなければならないことも多く、そこに数学を用いることで、できるだけ論理的に結論を下すことがある訳です。

高校課程までは、その事実を知識として知っておくだけでも十分だと思います。

それを、思考・判断力をみるためと称して、何でもかんでも試験問題化しようとするが故に、様々な場面で生徒たちに無理を強いる事態が発生してしまっているのが、昨今の入試改革の流れではないでしょうか。