毎年都立日比谷においては、実施後すぐに入試問題が公開されていたものの、今年は約3ヶ月もしてからようやく公開されました。
何らかの意図があるのかは不明ですが、過去問集の発刊がらみから公開しない私立校ならともかく、公立校なのですから、すぐに公開することが他校の受験生にとっても指導者サイドにとっても望まれることでしょう。
公開時期が遅ければ遅いほど、「何らかの後ろめたい事情でもあるのか…」と臆測を呼ぶだけで、何らかのプラスの要素を付与する側面はないはずです。
(※未だに公開していない進学指導重点校もありますが…)
コロナ禍の影響から出題範囲が限定されて以来、易化が続いてきた都立日比谷の数学。
都立西のような出題内容でレベルを保つことが十分にできたはずなのに、どうしても“差別化を図りたい”のか、頑なにその方向性をとってはきませんでした。
そして今年、“正統派”の体裁を強めつつ、ようやく本来的なレベルに戻ってきた感があります。
従来ならば1問はあった難問レベルの出題が見あたらなくなり、
「いくつもの与条件をいかに制限時間内にうまく処理して解ききれるか」
をみるような出題が多かった印象です。
改めてこの数年の「数学」入試問題のみに着目して振り返ってみると、同校が求める生徒像が“近視眼的”ではあるものの見えてくるような気も…
数学のある分野に特化して秀でた、つまり“異能”のような受験生を評価するような出題は避け、いかに多数の情報を適切に処理する能力があるか、いわば“ゼネラリスト”的な受験生が評価されるような出題に努めているように感じるのです。
それ自体は、もっともと言えばもっともな出題スタンスではあるものの、
「一点突破の可能性を秘めた“異能”よりも、優秀な“ゼネラリスト”を集めた方が、あの“官僚養成所”へ多数の生徒を送り込むには適しているから?」
との“邪推”は、穿ちすぎな見方でしょうか…
まぁ実際のところの真相は明らかになるものではないでしょうが、
「これからの社会を生き抜いていくこどもたちに求められること」
に焦点を当てて考えてみると、“異能”は大切なキーワードとなってくると思います。
あと数年~10年くらいの内には、当然のようにAIを駆使しながら生活していく社会がやってくるのは目に見えている中で、ゼネラリスト的な人材の需要は果たしてどのくらいあるのでしょうか…
ゼネラリスト的な処理こそAIの十八番であるはずなので、人の役割としては
「AIの活用を通して、今までどうしてもできなかったことをいかに実現するか」
という一段上の“知恵を絞り出す”ことこそが求められるはずで、そんなブレイクスルーを起こせるのは、一点突破的な破壊力を持った“異能”でしょう。
人材採用の場面において、
「□□大学○○学部卒です!」
のような学歴偏重の評価基準は、もういいかげんに淘汰されていくことでしょう。
(※今現在は、“□□大学閥”のような連帯意識がまだまだ組織上層部には潜在意識のように存在していることが多いので、あと10年もすれば…)
「どこで学んできたか」
ではなく、
「何をどれだけ突っ込んで学んできたか」
こそが、その人材の将来性をはかる上で重要な評価基準となってくるはずです。
様々な“異能”がそれぞれの場で生き生きと活躍できるような多様性許容社会こそが、
「AIと共存する」
もしくは、
「AI駆使に伴う均質化社会を打破していく」
ために求められるはず…、と考えてしまう今日この頃です。